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◆2008年4月から奈良新聞に毎月一回、池宮さんのエッセーが掲載されることになりました。タイトルは「愛,感謝,平和の音楽人生」です。
HPでご紹介いたしますので一年間宜しくお付き合いください。
◆奈良新聞に第1回目は2008年4月28日に掲載されました。
◆連載「愛、感謝、平和の音楽人生」(池宮正信)
第1回「出生と人生の礎」
奈良の帝塚山大学で英語を教えていた母、恒子は二〇〇六に他界した。ことし二月、帝塚山大学主催のピアノリサイタルには母の教え子の皆さんが大勢詰め掛けて下さり、ロビーはさながら同窓会のようであったと後から伺った。年齢八十歳にして逝った母であったが、最期まで茶目っ気のある人間好きでおおらかな人であった。学生を愛し、学生の皆さんからも愛され続けた母は、私の人生一番の師でもあったように思う。
満州の奉天(現瀋陽)、私の祖父が牧師として派遣された土地で母は生まれ育った。父が特攻隊の隼戦闘機操縦士として赴任し母と巡り会ったことで二人は結婚、私が中国で生まれたのはそのためである。祖父は平和を愛した人で帝国主義下であっても正しいと信じる道を進み、憲兵から監視されていたそうだ。その祖父が第二次大戦中に平和の使者として満州に招いたのがヘレン・ケラーである。奇しくも数年後の一九四六年、ヘレン・ケラーが滞在した部屋で私は産声を上げた。平和を望む心は最初の呼吸から私の体内に入り育っていったのではないかと思うほどである。
終戦を迎えた本国への引き上げは、戦争難民として汽車後部に繋がれたトロッコや徒歩などで大変苦労の多い移動であった。母の全財産は私とおむつ。首からぶら下げた風呂敷に私を包み歩いたそうである。日本の情報が皆無で、安全のため中国人に私を預けた方が良いと勧める人もあり心が揺らいだこともあったと聞いた。やっと引き揚げ船に乗るべく辿り着いた港からは一日一便の小さな船が行き交うだけ。ぞくぞくと集まる人々は寒さの中何日も乗船順番を待った。順番がきたと思ったその日、私たちの直前で乗船が打ち切られたのだが、その船は出航後に沖で徐々に傾き、遂には沈没してしまったそうである。もし私たちが乗っていたら、一歳に満たない私はもちろん、極寒の海で私達の命は儚く消え去っていただろう。
日本で落ち着いた先は瀬戸内海の小豆島。父が醤油会社に職を得、母は小説「二十四の瞳」のような学校で英語教師になった。両親は細々とした生活を始め、私はいつもひもじかったことを覚えている。しかし苦しい生活の中でも家には近所の人々や学校の生徒たちなどが出入りし笑い声の絶えることはなく、その中心にはいつも母がいた。どんな状況下にあっても心に花を持ちお互い労り合えば喜びを見つけることが出来る―と母から学んだように感じる。
その後、父が京都大学で研究継続をするため私たち家族は京都に引っ越した。六歳からピアノを始めることになるのだが、一間暮らしの貧しい生活のなか、両親が購入してくれた中古ピアノが私の人生方向を決めることになる。今ピアニストとして充実した人生を歩めるのも、子どものことを優先に考え、深い愛情を注いでくれた両親のお陰と強く感じる。
コンサートの時にはピアノが好きだった母に心の中で感謝し演奏に臨む。客席で母が私の演奏を楽しんでくれているように思える。
写真=母・恒子と筆者
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